真珠の養殖 真珠の養殖は、明治26年の半円貝付真珠に始まり、明治40年遊離真珠(真円真珠)の形成原理が解明されてから9年を経た大正4年に実用化されました。 真珠養殖の歴史は三重県の伊勢志摩から始まりました。こちらでは、真珠養殖の歴史についてご紹介いたします。 真珠養殖の歴史 真珠の養殖の歴史は「真珠王」と呼ばれる、養殖真珠の生みの親、御木本幸吉の歴史でもあります。 御木本幸吉は明治26年に初めて、半円貝付真珠の養殖に成功しました。そしてその20年後、明治40年には遊離真珠(真円真珠)の形成原理を解明しました。真珠養殖が始まってから35年が過ぎた昭和3年に真珠養殖の方法の特許技術権を取得し、真円真珠の生成技術は一般化されるに至りました。1910年に御木本幸吉はイギリスのロンドンへ出店し、養殖真珠は初の日本産の宝石として、ヨーロッパの社交界で絶大な人気を博しました。その反面、養殖真珠は本真珠ではなく、模造真珠であるのではないかと疑念をいだく人も数多く現れました。1921年にはパリの宝石商がミキモトパールは贋作であると訴える「パリ真珠裁判」が起こりました。この裁判は3年にも及びましたが、1924年、天然貝と養殖貝の真珠には、全く違いが見られないことが明らかになり、最終的に全面勝訴を勝ち取り幕を閉じました。日本の養殖真珠はこの「パリ真珠裁判」によってその名を不動のものとしたのです。 その後、養殖技術が海外にもひろがり、現在のように真珠は世界中で養殖されるようになったのです。 母貝の養殖 4月頃人工採苗された強化アコヤ貝(1mm程度)を仕入れします。その後、念入りに掃除とカゴの入れ替えを行い、病気になるのを防ぎます。そして、2年後の4月から利用できる(一部1年後に利用できる)母貝に育てます。 貝掃除 アコヤ貝は海に吊っていると、カキ・フジツボ等の付着物がたくさん着きます。そのため、貝掃除機・貝掃除ナタを利用して付着物を外す作業を行います。また、アコヤ貝を濃塩水に漬ける塩水処理や真水に漬ける水処理も行います。 避寒作業 アコヤ貝は水温が10℃以下になると死亡するため、秋か春の間に暖かい漁場(九州など)へ移動させて春を待ちます。 母貝仕立て 挿核用の母貝は、挿核手術によるショック症状を避けるための「抑制(卵止め)」と「卵抜き」の仕立てを行います。「抑制(卵止め)」とは母貝を秋からカゴに窮屈な状態で育成して、春の挿核まで活動を抑え卵を成熟させない方法です。「卵抜き」とは母貝に刺激を与えて放卵させる方法で、5~7月に挿核する母貝に用います。 貝仕立てと栓さし 挿核手術の準備として、仕立てが終わった母貝の貝殻を開けたままにしておくために、「貝立て」と「栓さし」の作業を行います。「貝立て」の方法は貝立て箱に貝をぎっしりとつめて立て長時間貝を苦しめた状態で海中に吊るし、その後海水で満たした水槽内に開放すると、貝は大きく口をあけます。この時、貝口器を入れくさび形の栓をさす「栓さし」をします。 ピース 真珠は生殖巣の真珠袋の中で生まれます。アコヤ貝の外套膜は真珠質を分泌する機能があります。この外套膜の小片をピースと呼びます。 真珠核 真珠核は、主にミシシッピー川水系に生息しているイシガイ科カワボタンガイ亜科に属する淡水産二枚貝の貝殻を原料にして、真円に加工して使用します。 挿核施術 「核入れ」とも言いますが、アコヤ貝の生殖巣まで先導メス・ピース針・核挿入器を使用してピースと真珠核を挿入して、真珠袋を形成させる手術をします。 養生 挿核手術を行ったアコヤ貝の手術後の体力を徐々に回復させるために、養生カゴに入れて安静状態にします。 レントゲン きれいな真珠を作るのには、アコヤ貝の生殖巣中にある真珠核の位置が重要になります。そのためレントゲンを利用して真珠核の位置を調べる作業も行います。 沖出し 挿核手術後に養生期間が済んで回復してきたアコヤ貝は、沖合の真珠いかだへ段のネットに入れて吊るします。この状態で7ヶ月から1年6ヶ月の間、海の水温・酸素量・比重・プランクトン量などの漁場の変化に気をつけて、巻きの良い真珠を作るため貝掃除を繰り返し行います。 浜上げ 真珠の「テリ」「色」「巻き」の出来具合を調べるため10個程度の試験むきを行い、その結果により真珠の採取時期(収穫時期)を決定します。これらの真珠の収穫を浜揚げと言います。主に12月と1月に行います。